三国志(蜀編)

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このところ、閲覧履歴を見たら秦や漢、三国志の話を閲覧して下さる方が多いみたいで非常に嬉しいです。私も歴史が大好きでこまめに調べたりすることを書いてるだけですが、歴史を調べるうえで一番楽しい事は、今にも通ずることだと思います。

昔の事など知った所で何になるの?

パソコンとか昔無いじゃん!って言われそうですが、人の在り方として、私は勉強になると思っています。

まず、中国史の凄い所はどこか想像つきますか?

我々、日本人が土器や狩猟をしていた時、文字や青銅、鏡など異常なまでに文明が発達していました。魏の曹操と邪馬台国の卑弥呼が手紙のやり取りをしていたくらいの時代のお話です。これだけでも、日本人より遥かに進んでいたのです。

更に官位などが決まっており、身分にもしっかり価値を与えていました。今みたいに盤石な地位では無いですが!

例えばこの時代に、全ての法律を取り仕切るような偉い立場でも、暗殺してしまえば、終わりです。現代と違い、調べる術がありません!

しかし、現在の日本の総理を排除したいと仮に思ってもそれ相応の覚悟を持って綿密な計画を立てねばすぐに身元の特定をされます。まず成功しないでしょう!

即ち、しっかりと身分により区別されていたが、安心できる地位ではないという事です!ここら辺は現代の方が良心的ですねw

三国志が起きたきっかけ

三国志は最初から三国時代な訳ではありません!

まずは「漢」という元号

前漢200年 後漢200年 計400年の歴史があります。

その後漢に起きた出来事です。

この後漢では「宦官」という者がまず出てきます。

「宦官」は男性器を除去して王宮の事などを取り仕切る者たちの事です!!!

男性器???何の関係があるの??って思うと思いますがw

これは、王の妃に対して不貞を働かないようにするための忠誠の証のようなものです。男性器が無ければ行為が出来ないからです。

この宦官は秦の時代から存在していますが、、、

常に悪さをしているような感じです><

性欲が無い分、出世欲が非常に強いからだと思われます!

その宦官が集まって十常侍と呼ばれます!

その十常侍が国をどんどん腐敗させていきます。主に国民から搾取を行い、自分の親戚を重用したりしました。

あれ?

議員さんも同じことしてるような、、、

黄巾の乱が起こり、宦官と対立していた何進大将軍が十常侍殺害を試みますが、逆にやられてしまいます。その事に激怒した「袁紹」が十常侍を殺害します。その隙に逃げた幼い皇帝劉協を保護したのが「董卓」です。

皇帝を保護したことにより実権を握った董卓の支配がはじまります!!

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董卓=酒池肉林

イメージですw

金持ちから金品を奪い、民を殺し、女性を○○する権力にものを言わせてなんでもする下衆やろうでした。そんな董卓を打ち破るために「反董卓連合」を結成して打倒董卓に乗り出します!ここで沢山の武将が出てきますが、「劉備」「曹操」「孫堅」の話を掘り下げていくので割愛します。

前回の記事でおおまかな流れは説明しているので、キャラ紹介を主に行っていきます^^

https://croaのコツコツ道.com/?p=787

②https://croaのコツコツ道.com/?p=868

劉備(後々蜀)

劉備・関羽・張飛は義兄弟の契りを結ぶ!<桃園の誓い>

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この桃園の誓いは正史では無かったとされています。演義での脚色と言われていますが、この3人が義兄弟の契りにより固い絆で結ばれていたことは事実です。

劉備(長男)

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仁義を思いやる人と言われている。漢の末裔で、漢という国の再興を願い挙兵する。

皇帝の親戚だから、漢の国を助けるんだ!!!っていう気持ちで戦っている。演義では、主人公ポジションで正義の役割を担っている。武勇も優れ、戦上手という評価ですが、最初は身分も隠して生活していたため、土地・お金・人材が乏しく、各地を転々としている。ようやく地盤を手に入れた荊州も呉からの借り物という状況で中々大変な思いをしている。

弟二人は気性が荒く人の言う事を聞かないが、唯一兄である劉備の言う事は聞くため、ブレーキの役割にもなっている。後々、三兄弟は領土が広がり離れた場所で生活していたため、負の連鎖が始まっていく、、、

<私の個人的な考え

演義では、脚色も強く偽善者の塊のような所がある。私は個人的には、あまり好きな人物ではない。しかし、何も無い状態で、有名な名将を数々従えてきた事、即ち人心掌握術に関しては、正に天才だと思います。(日本では豊臣秀吉)

関羽(次男)

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武勇に優れ、戦が上手く、他の勢力からも一目置かれる存在の武将。蜀の五虎大将の筆頭である。曹操にも非常に気に入られている。しかし、演義では、武将との一騎打ちが多く見せ場も多いが、正史では、別の武将とすり替わっているため、前半の明確な活躍は、分からないが、後々の戦では、功績も多いので、間違いなく評価通りの実力だと思います。

しかし、関羽は、非常に傲慢で気位が高く、現代で言う、人を舐めている所が弱点である。

実際、荊州守護をしている際に、上の土地である魏軍を独断で攻め始めて、下の方に位置する呉軍は、「度胸無いから気にしないでいいよ!」みたいな感じで戦をしていたら、呉軍の呂蒙に討ち取られるという最期でした。

演義では、荊州を諸葛亮が守護していましたが、蜀攻めの際に龐統(軍師)が亡くなったため、代わりに蜀攻めに諸葛亮を派遣した。留守を任す際に関羽に対して「魏には対抗して呉とは和議を結べ」と言っています。

簡単に言うと魏が攻めてきたら迎え撃て!しかし呉とは友好的に接しなさい!という事です。この際、呉の孫権が関羽の娘に縁談を持ち掛けますが、使者に対して「犬の子に虎の子はやれん」といっていますwめちゃくちゃ無礼ですwドラマの脚色でも酷いw

<私の個人的考え>

どれだけ優れていても使いづらい人材は組織を瓦解させる可能性が高いと感じた。ただ傲慢で気位は高いが沢山の将軍たちから尊敬されるほどの実力者なのは間違いない!

張飛(三男)

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武勇は凄いが、酒癖が悪く、失敗も多いというイメージです!しかし、荒っぽい所は実は劉備のイメージを壊さないように張飛に被せている可能性があるようですw武勇に優れているが1対1とかの場面はそこまで多くないです。

身分の上の者には、お調子者で部下・兵士には、非常に乱暴だったみたいです。張飛の最期は兵士に裏切られ殺されています。関羽のかたき討ちのために無理難題を押し付けた事が原因のようです。

<私の個人的考え>

下の者のおかげで、自分の仕事が円滑に行えるので、部下は大事にしないと良い結果は生まれないという戒めのような所がある。これは、現代社会においても通ずると思います。

趙雲

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演義の作者の同郷という事でめちゃくちゃ脚色されています、、、

しかし、それでもカッコいい!!!!

劉備の子供を戦場で救出したり、地味でも毎回良い活躍をする!!そんな縁の下の力持ちな趙雲は本当に素晴らしい!!武勇だけでなく、忠実で頭も良いハイスペックな漢!

<私の個人的考え>

身分こそ高く無いのは、趙雲自身が望まなかったからでは無いかと思います。劉備を守るためには、身分より近くにいる事だと思っていたのでは、無いかと趙雲の人柄から感じます。

街亭の戦い?の撤退戦で敗北した際も諸葛亮は趙雲の活躍を誉め褒美を出そうとしましたが、「負け戦で褒美など要りません!貰えるならば国庫に納め後々お使いください」的な事を言っている!本当の意味で国のために忠義を尽くしている。

諸葛亮

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蜀軍の軍師で有名!!名前だけ聞いた事がある方も多いかもしれません。しかし、演義では兵法が評価されていますが、、、軍事においては、法正という者が担っていました。諸葛亮は政治などを主に担っています。劉備亡き後は、軍事指揮をしているので後世にそのまま戦上手の記載がされているのかもしれません。演義の諸葛亮はかっこよすぎるので是非見て欲しいです!!!!

<私の個人的考え>

劉備に従い、常に導いてきた諸葛亮はカッコイイ!だからこそ、彼に学ぶことは多いと思います。私は蜀では趙雲と諸葛亮が好きです!義理や忠義というのは現代においてはあまり無いかもしれないですが、お世話になっている人を大事にする大切さを教えてくれている気がします。

蜀編(まとめ)

蜀は、序盤は土地やお金もなく、3兄弟で流浪していた。その道中でいろんな方と出会い、趙雲を見出し、各地を転々とする、、、、土地を得ても失い安定せず、、、武力だけでは、どうにもならない事を悟った劉備は三顧の礼(三回も出向く)を行い諸葛亮を迎える事に成功する。そのおかげで、ようやく荊州の地に地盤を得て(呉からの借り物)優秀な人材確保に力を入れる。その後、蜀の地を得るが、、、そして北上し漢中攻略に行こうとする。その最中、荊州の地で義兄弟関羽を失う、、、復讐を心に誓った劉備であったが、周りの者達は、呉を攻める事に反対した。迷っている間にもう一人の義兄弟張飛もまた、部下の手で殺されてしまう。失意の中劉備は、呉攻めを覚悟し連戦連勝を繰り返す。しかし、夷陵の戦いで火計に遭い、あえなく敗走、、、白帝城で劉備も死す。その後、息子劉禅が跡を継ぎ、呉と友好を結びなおし、魏に攻めていく!北伐である。北伐は魏を討伐する事が目的であるが、諸葛亮が推し進めた、その理由は、漢を作った劉邦(劉備の祖先)も蜀の地で挙兵したことが関係している。蜀は攻めづらく20年は安泰だが、その後は、厳しいという現状だったからこそ、攻めて領土を広げようとしないとイケなかった。まして20年後には諸葛亮自身も生きていないと思い焦りもあった。そのような理由から北伐が開始されるが、兵糧の輸送や移動が厳しく何度も繰り返し攻めと撤退を繰り返している。国力も疲弊していき、その半ばで諸葛亮も死す。諸葛亮が死んでからは北伐は中止になり、その後、姜維が北伐を求め、また再開されたが、時すでに遅し、、、蜀は魏に降伏する事になった。

簡単な流れはこんな感じだと思います。

蜀という国は最初から最後まで有能な人材頼みな印象があります。

現にそれで漢の皇帝「劉邦」は天下を獲っています。

しかし、敵の曹操は強大でしたね^^すべてを兼ね備えた曹操が敵で無ければ歴史は大きく変わっていたと思います。

今回は、蜀編でした^^

次回は魏を行いたいです( *´艸`)

曹操(後々魏)

孫堅(後々呉)

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